タイガーマスク基金 インタビュー

タイガーマスク基金 インタビュー#10
自らの体験から、虐待を減らしたいという思いで、虐待防止活動を続ける

上原陽子さん

NPO法人虐待問題研究所代表、虐待防止活動家。地獄のような虐待体験をし、現在は、夫と3人の子ども達にも恵まれて幸せな日々を送る。http://stop-gyakutai.com/

DVD『虐待から学んだ幸せの扉を開く7つの鍵♪上原陽子』

 

産まれたときから受けていた、最初の父からの虐待

もともとは京都に住んでいました。2歳上の兄と父母の4人で暮らしていました。父は働かず、お酒を飲んでは酔って暴れていました。働かない父の代わりに、母が働き、朝から晩まで働いて家にはほとんどいませんでした。

 

3歳になったある日のこと、母が夕飯の支度をしていたので、お手伝いをしようと思いおぼんに、ご飯とおかずを運ぶ途中、ふすまのさんに躓き転んでしまい、その事に対して父がカッとなり暴れ出し、その刃物が私に向けられ、傷を負いました。3歳頃ですから、細かい状況など覚えていませんが、ただ怖かったという感覚だけが残っています。

 

それをきっかけとして、私と兄を守る為に離婚を決意。母は母子家庭となり、また働きづめの日々が続きました。母はしばらくして、再婚。それから母と兄と私、新しい父と、父の兄と両親との7人暮らしの生活が始まりました。

 

 

2番目の父も、暴力をふるって

最初父になつかなかった私を何とかしようと思った父が、私を殴ったり蹴ったりするようになりました。この父も働かず酒を飲み、パチンコで負けると、暴れ、殴られるという生活が続きました。2世帯住宅だったので、父の暴力があまりにも激しいときには、祖父が止めに入ってくれて、それで救われる部分もありました。その祖父は私が6年生の時にガンでなくなってしまいました。止めてくれる人がいなくなったので、父の暴力はますますエスカレートしていきました。血が出るまで殴らないと、気が済まない父親でした。

 

とにかく自分が思ったことがすぐにできないと、逆上する父でした。お風呂に入りたいと思ったときに、私がお風呂に入っていると浴槽に沈められる。パチンコで負けて夜中に帰ってくると、「なんで寝ているんだ」とたたき起こされて殴られるという日々でした。階段から突き落とされたり、ご飯を食べさせてもらえなかったり。

 

『私はこんな事で死んでたまるか!絶対幸せを掴むんだ!』と自分を信じ、励ましていました。空腹をしのぐために、家で犬を飼っていたので、犬のドッグフードを食べたり、家業で喫茶店をやっていたので、サンドイッチを作る時パンの耳を捨てるので、それをゴミ箱からあさるというような生活でした。

 

 

母がお腹の子を中絶。私が死ねばよかったと言われ……

小学6年生になり、私も女性的な体つきになっていましたから、義父からお風呂をのぞかれたり、下着をあさられたり、抱きつかれたりということも頻繁に起こり始めました。

 

中学1年生の時に、母が妊娠したのですが、私がおたふく風邪になってしまい、母のお腹の子どもが障がいを持って生まれる可能性も心配(※)だと言うことになり、子どもを中絶したことがあります。義父にとっては、自分の血のつながった子どもだったので、「おまえが殺したんだ。おまえが責任を取って死ね」と言われました。

 

本当に飛び降り自殺しようと思った前日の夜、夢に男の子が出てきて、「お姉ちゃん死んだらあかん。僕の分も生きて」と言われました。それで、生きる希望を持つことができました。

 

>暴力に耐えかね、義父を殺してしまう寸前まで追いつめられ

 

※妊娠中におたふく風邪にかかっても、胎児が先天異常を生じるというものではないと言われています。感染すると、頻度としては少ないものの、流産や胎児死亡などの確率が上がると言われています。

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