タイガーマスク基金 インタビュー

タイガーマスク基金 インタビュー#11
「日向ぼっこ」を、当事者たちが集い、心を休め、一歩踏み出す場に

音楽との出会いとVOXRAY

音楽に出会ったのは、小学校4年生のとき。音楽の先生が「吹奏楽部に入らないか」と声をかけてくれて、一年迷った挙句、5年生のときに入りました。高校生になってCDコンポを手に入れ、友人からギターを教えてもらい、「歌い手になりたい」という気持ちが湧いてきました。音楽の学校に行きたかったけれど、お金がなかったので断念。アルバイトをしながら音楽活動をしていました。卒園して2年後にボイストレーニングに通いながら、カラオケボックスでバイトの日々。バイトではリーダーに抜擢され、正職するか音楽を悩みましたが、やはり音楽がやりたいという気持ちが強く、アルバイトを辞め、アカペラの事務所に所属。そこで今のメンバーに出会いました。

 

VOXRAY(ヴォクスレイ)は、10年前に結成しました。メンバーには自分の生い立ちを伝えていませんでしたが、児童養護施設に恩返しのつもりで歌いに行きたいという思いをメンバーに伝えて、自分が育った児童養護施設で歌う機会を頂きました。それが7年前のことです。歌を歌うと、子どもたちの顔がパッと明るくなり、メンバーも「この活動をやっていこう」「おまえがいたから、この活動ができる」と言ってくれました。

その翌年、「日向ぼっこ」と、今の妻に出会いました。自分の母親の男性遍歴を目の当たりにしていましたから、自分自身、以前は女性を性の対象としてしか見ることができませんでした。「彼女は作らない」と決めていましたが、妻と出会ってその想いが変わりました。

 

 

親になって、当時の母の大変さも受け入れられるように

母親とは今もつながりがあります。ムスメが生まれたときには、1カ月間、仕事の合間を縫って静岡県から自宅に来てもらいました。子どもが生まれて、「育児は大変」「1人じゃ無理」ということを実感し、そんな気持ちと共に、母へのわだかまりも溶けていったように思います。

 

子育てのサポートに来てもらったのも、自分たちのため、そして何より子ども達のためと言う想いがありました。それに加え「親らしいことができなかった母親を、おばあちゃんにしてあげよう」という想いもあり、妻と相談した上で母親に頼ってみたら、応えてくれました。今でも弟のことでたまに言い合いをすることもありますが、母親がいたから、自分の過去があったから、今の自分があると思えるようになりました。

 

 

「生きたい」と思える社会へ

児童養護施設の子どもたちと話す機会をいただくこともあるのですが、毎回悩みます。自分の経験を押しつけちゃいけないと思いますし。でも、今の自分でいい、出会いを大切にして欲しい、夢をあきらめないでということは伝えていきたいと思っています。
児童養護施設に入れた僕は、むしろ幸せだと思っています。施設出身の当事者ということで、「大変だったね」と言われますが、施設に入っていなくて、大きな困難の中で生き抜いている子どもたちもいます。一般の人だって、大変なことがいっぱいありますよね。

 

これから活動したいと思っているのは、「虐待はいけない」と訴えるのではなく、「虐待しないために、どうしたらいいのか」ということ。そして「生きたいと思えるような、社会になるといいな」ということ。自分自身、認められたことが自信になっているので、子どもも親も認め合えるような社会になるといいなと思っています。
「日向ぼっこ」は、始めの一歩を踏み出せる場所、一緒に何かを成し遂げる場所そしていつでも帰ってこられる場所として、活動していきたいと思っています。

いつか「日向ぼっこ」が当事者にとって必ずしも必要な場所じゃなくなる日が来ることを願っています。

 

 

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