
作家 佐川光晴さん
作家。1965年東京都生まれ。2000年「生活の設計」で新潮新人賞を受賞して作家デビュー。著書に『ジャムの空壜』『縮んだ愛』(第24回野間文芸新人賞受賞)『家族芝居』『銀色の翼』『牛を屠る』『おれのおばさん』(第26回坪田譲治文学賞受賞)等。高校1年、小学校2年の2児の父。妻は小学校の障がい児学級の教員。
~札幌の児童養護施設を舞台にした小説『おれたちの青空』。そこで暮らす中学生たちの葛藤と決断、そして子どもたちに向き合う周囲の大人たちの姿が、軽やかに、しかし力強く描かれています。小説の刊行にあたり、著者の佐川光晴さんに単独インタビューさせていただきました。

思春期に自分と向き合い、もがき苦しむことは大切
ぼくは大学進学を機に親元を離れました。神奈川県の茅ケ崎から北海道大学のある札幌に移り、恵迪寮(けいてきりょう)に入った。ここは、札幌農学校の寄宿舎に由来する自治寮で、全国各地から集まった学生たちの手によって自主的に運営されているんです。ぼくは法学部でしたが、農学部から医学部から水産学部まで、専攻も年齢も異なる寮生たちが組んず解れつのつき合いをするわけで、それがぼくにとっては何よりの経験でした。
『おれたちの青空』の舞台である札幌の「魴鮄舎(ほうぼうしゃ)」は三角屋根を持つ木造二階家に、陽介や卓也といった中学生ばかり14人が暮らす児童養護施設です。前作の『おれのおばさん』で、語り手である陽介は、銀行員だった父親が横領罪を犯して逮捕されてしまう。自宅は差し押えられて、名門の私立中学も退学せざるをえなくなる。困った母親は、疎遠にしていた姉に一人息子をあずけることにする。陽介からすると伯母に当たるこの女性が、施設の運営者である「恵子おばさん」です。
札幌に渡った時、ぼくは18歳でしたが、陽介は父親の逮捕というアクシデントにより、14歳で親元を離れることになる。しかし、いきなり世間に放り出されるのでなく、魴鮄舎という共同体に引き取られるわけで、こうした点はぼくの経験と重なります。
もう一つ、創作の動機になっていたのは、『おれのおばさん』の執筆当時、ぼくの長男
が陽介や卓也と同じ14歳だったということです。息子だけでなく、息子の同級生たちも
14歳でした、当たり前ですが(笑)。
ぼくは主夫でもあり、保育園の送り迎えもすれば、授業参観や懇談会にも出席するので、息子の友だちの姿をずっと見てきました。小学生の時には元気いっぱいだった子どもたちが、中学生になると勢いをなくして、なかには途方に暮れた顔をしている子もいる。もちろん児童養護施設に入っている子も苦しいと思うけれど、思春期ともなれば親元で暮らしている子どもたちだって、それぞれ苦悩や葛藤を抱えているわけです。
ですから、14歳の陽介や卓也には、息子をはじめとするたくさんの14歳の姿が重なっています。ちなみに、ぼくも14歳の頃に父がうつ病を患って入院してしまい、家の経済状態が非常に悪くなった。うつ病の原因は、父が組合活動をしていたことにあり、そのせいもあって、世の中とはどういう場所なのかということをずいぶん考えました。
『おれのおばさん』を読んだ人の中には、陽介はとても14歳とは思えない、14歳でもこんなにしっかりと自分の考えを持つのか、というような感想を持たれた方もいるようです。しかし、14歳でも必死になるとこれくらいのことは考えるし、考えることでかろうじて自分を支えているわけです。
あんなふうに生きてもいいのか、という発見

親と子の関係では、子どもは親の世話にならざるをえない。けれども親だって、必死に世話をする子どもがいてくれることでずいぶん助かっているわけです。我が家では、妻が教員をしていることもあり、ぼくが家事を一手に引き受けています。洗濯に買物に食事の支度と、とにかく時間を取られてしまう。しかし、それでも小説は書けていて、反対に家事をしなくなったら小説も書けなくなる気がしています。
ぼくは児童養護施設の現場は知りません。執筆にあたっても取材はしていません。地元の児童福祉にほんの少し関わっていることもあって、施設長の話を聞く機会があるくらいです。一般的に児童養護施設では子ども6人に1人の職員というのが配置基準とされていますから、「魴鮄舎」に限って言いますが、恵子おばさんはたった一人で14人の中学生の面倒をみるために、超人的ともいえる働き方をしています。でも、彼女はそうすることで、どうにか自分を保っているようでもある。彼女もまた、喪失と失意を抱えながら厳しい人生を歩んできた女性であり、その迫力があるからこそ、中学生たちは恵子おばさんについていくんですね。
話は飛びますが、人が成長していく過程で、親以外の大人の存在というのは、実はかなり大切なのではないかと思っています。生まれてからずっと一緒にいるために、子どもには無意識のうちに親の価値観がすり込まれています。それはそれで大切なことですし、反抗期とはその価値観やスケールから抜け出そうとする試みにほかなりません。けれど、その時に、親とは違う態度で暮らしている大人を一人でも身近に知っていると、「あんなふうに生きていってもいいのか」と、けっこう気が楽になるのではないでしょうか。
陽介も卓也も、本当は親と一緒に暮らしたいわけです。しかし、それはどうしても叶わない。そうした悲しみを抱えている彼らが恵子おばさんと出会ったことにより、二人はそれぞれ自分のスケールを大きく、広く、成長するチャンスを得ます。
読書によって、自分の置かれた世界とは別の世界を知ることもあるでしょう。でも、ぼくとしては、やはり生身の人間との触れ合いこそが人を成長させると思っています。
もうひとつ。目的をもって身近な大人が見守ることの大切さはもちろんありますが、人と人との関係の在り方は、その空間に一緒に存在すること、目につく空間にいることにつきる、という思いがあります。
縁あって場を同じくした人と、どう付き合うかが大事
これは寮で暮らした経験から言うのですが、相手との関係を作るには、同じ空間にお互いがいなければなりません。携帯電話やインターネットが全盛の時代には流行らない考え方でしょうが、取り立てて何をするわけでもないままに一緒にいることこそが相手を認めることではないのか。
小説では、大雪の朝、施設を飛び出した卓也が、まんが喫茶で大竹というそんなに親しくもないクラスメイトとばったり出会う。本当だったら、一目置いている陽介と一緒の方がよかったかもしれないけれど、いろいろ頭にきながらも、卓也は自分の「家出」に大竹を連れていくはめになる。列車に乗って、札幌から道北への小冒険となるわけですが、選りすぐりのメンバーで、とびっきりのイベントをしてみせるよりも、偶然居合わせた人たちとぎこちない会話を交わすうちに最初よりもいくらか打ち解けるほうがいい。
我が家には、最近小2の次男の友だちがよく遊びに来ます。子どもたちだけで遊ぶこともあれば、ぼくに遊んでくれとねだってくることもある。その時々の疲れ具合に応じて遊んでやり、日が暮れると彼らの家のそばまで送っていく。道々、話しかけてくる子もいれば、黙っている子もいて、ぼくとしては気長に付き合っていこうと自分に言い聞かせながら、彼らと過ごすのを楽しんでいます。
付き合いというと、「有益な交際」を求めがちになるけれど、そうじゃあないと、これは声を大にして言いたい。縁あって、場を同じくした人と、どう付き合うかの方がよほど大切ではないのか。カリスマ塾講師から解法のテクニックを伝授されるよりも、毎日、教室で会う担任の先生が、今日は昨日よりも元気そうだと気づけるほうがいいと、ぼくは思っています。
人生ではいろいろな人に出会うけど、出会う人は選べない。でもそういうことにひるまないで生きていって欲しいと思います。人と人がよく交わりあって暮していくなかで、身近にいる人からたくさんのことを感じてほしいと思いますし、どんな相手からだって受け取ろうと思えば、自分が受け取れることは増えていくものですよ。

(著書紹介)
『おれたちの青空』(集英社・定価1260円)
東京の名門校に通う中学生・陽介は、父が横領罪で逮捕されたため、おば・恵子が営む札幌の児童養護施設に放り込まれる。その陽介とともに施設で暮らす同級生・卓也が、受験を前に自らの過去と対峙する姿を描く「小石のように」、恵子が劇団女優から児童養護施設の運営者へ転身するまでの波乱の人生を描く「あたしのいい人」ほか、全三編収録。旅立ちの季節を迎えた中学生たちと、それを見守る大人たちの姿を爽やかに描く感動の青春小説。
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『おれたちの青空』
『おれのおばさん』