渡井隆行さん
ヴォーカルグループVOXRAY(ヴォクスレイ)メンバー。NPO法人 日向ぼっこ代表。現在はVOXRAYの活動のほか、個人でもLive、講演をするなど活動の幅を広げている。2児のパパ。
VOXRAY Official Web Sitehttp://www.voxray.net
NPO法人 日向ぼっこhttp://hinatabokko2006.com
当事者団体「日向ぼっこ」はどうあるべきか
NPOの代表に就任してまだ3カ月。当初の僕の考えでは、カウンセラーではない日向ぼっこが出来る事は精神的な支えよりも、資格を取るとか、プログラムに参加するとか、目に見える具体的な支援をする方がいいのではないかと思っていました。しかし、代表になって当事者の方とさらに深く関わる中で、やはり「資格取得や勉強会よりも、はじめの一歩を踏み出したくても踏み出さえない人たちの一歩がみたい!一緒に何かしたい!」と思うようになりました。
メンタルケアはできなくても、気持ちの寄り添いはできるかもしれない。それが、「日向ぼっこ」の出来ることなのかもと今は思っています。
まずは、「日向ぼっこ」に来て頂くこと。何かをしようとしなくていい、まずはのんびり過ごしてくれればいい。そして、さまざまな来館者の方とのコミュニケーションから、何かしらの生きるヒントを見つけあってくれたら。様々な生い立ちを知ることで自分だけが特別辛くて不幸なのではないと気付くきっかけが得られたらいいんじゃないかと、思っています。
当事者の想いを受け止めると言うこと
当事者の方から様々な事で相談されます。できる限りの事は出来ればとは思いますが、「日向ぼっこ」としてできることと、できないことがあります。社会的養護の当事者というくくりで考えると、被虐待児はもちろんですが、当事者だけど、ホームレスだったり、犯罪者だったりということもあります。刑務所に面会に来て欲しいと言う依頼もあります。どう線を引いていくのかはケースバイケースです。自分たちだけで抱え切れなければ、他団体や他企業、弁護士、警察とも連携していく必要があります。ですが、利用者さんにたらい回しにされたと感じさせないような関係にならないよう気を付けなければなりません。
生い立ちを話すと、かわいそうとか、底辺の子を救ってあげないと……という発想になる方は少なくありません。でも、そうではなく、身近にいる大切な方と接するように、お互いにとって何が大切なことかを伝え合い、関わっていって欲しいと思っています。
自分自身の生い立ちと、児童養護施設
ボクは、小さい頃、「悪いことをしたから、ここ(児童養護施設)にいるんだ」と思っていました。ボクは、母親が19歳の時に静岡で生まれました。父親の顔は知りません。母親は働きに行っていたようで、4~5歳頃までおばさんに預けられていたと聴きました。父親と呼ばれる人の事業が失敗したことをきっかけに、母親と一緒に東京に移り住みました。華やかな東京の生活を楽しむようになった母は、その後生まれた弟と私を置いて、遊びに出ることが多くなりました。ご飯もなく、弟は乳児院に預けられました。幼稚園や保育園にも行ったことがなく、小学校の入学式にいきなり出て、わけもわからずに、そこにいた感じです。担任の先生から「今日の準備をしてきた人」と言われて、自分だけ手を挙げられませんでした。そもそも人とちゃんと話したこともなかったので、しゃべるのも怖くて、手で×を示したら、担任の先生にいきなり殴られました。それ以来、怖くて学校に行けなくなりました。
親から暴力を振るわれたことはありませんでした。ネグレクトでした。いつもお腹を空かせていて、小学校1年生の時に、コンビニでアルバイトしている兄ちゃんの手伝いで値札をつけたりして、小銭を稼いだこともありました。
母親と間違えた事で知り合った同じマンションに住んでいる女性に、一人で高熱でうなされている時に助けを求めたこともありました。
小学校3年生の時に、原付バイクでチキンレース等をして警察に捕まりました。母親と担任が警察に来てくれました。後日、母親が育てるのは無理ということで児童相談所に相談したのだと思います。
そのころの一時保護所は、本当に怖かったです。木刀を持っているおじさんがいました。でもよかったのは、個別に勉強ができたことです。それまで勉強していませんでしたから、学校に戻って、一緒に勉強するのはとても無理でしたから、安心できる環境で勉強できたことはとてもよかったです。
それからすぐに児童養護施設に入りました。入ってすぐに、先輩からズボンを脱がされたり……なんていうこともありましたね。そのころは施設内での、いじめなども少なくなかったと思います。施設から学校にも行かれるようになりました。ご飯も布団もある生活を送れるようになりました。ただ、先輩はこわかったですね。2年間くらい毎晩、先輩のマッサージをさせられていました。逃げ場所は食堂。食堂のおばちゃんがグチを聞いてくれていました。18歳まで施設で過ごしました。
音楽との出会いとVOXRAY
音楽に出会ったのは、小学校4年生のとき。音楽の先生が「吹奏楽部に入らないか」と声をかけてくれて、一年迷った挙句、5年生のときに入りました。高校生になってCDコンポを手に入れ、友人からギターを教えてもらい、「歌い手になりたい」という気持ちが湧いてきました。音楽の学校に行きたかったけれど、お金がなかったので断念。アルバイトをしながら音楽活動をしていました。卒園して2年後にボイストレーニングに通いながら、カラオケボックスでバイトの日々。バイトではリーダーに抜擢され、正職するか音楽を悩みましたが、やはり音楽がやりたいという気持ちが強く、アルバイトを辞め、アカペラの事務所に所属。そこで今のメンバーに出会いました。
VOXRAY(ヴォクスレイ)は、10年前に結成しました。メンバーには自分の生い立ちを伝えていませんでしたが、児童養護施設に恩返しのつもりで歌いに行きたいという思いをメンバーに伝えて、自分が育った児童養護施設で歌う機会を頂きました。それが7年前のことです。歌を歌うと、子どもたちの顔がパッと明るくなり、メンバーも「この活動をやっていこう」「おまえがいたから、この活動ができる」と言ってくれました。
その翌年、「日向ぼっこ」と、今の妻に出会いました。自分の母親の男性遍歴を目の当たりにしていましたから、自分自身、以前は女性を性の対象としてしか見ることができませんでした。「彼女は作らない」と決めていましたが、妻と出会ってその想いが変わりました。
親になって、当時の母の大変さも受け入れられるように
母親とは今もつながりがあります。ムスメが生まれたときには、1カ月間、仕事の合間を縫って静岡県から自宅に来てもらいました。子どもが生まれて、「育児は大変」「1人じゃ無理」ということを実感し、そんな気持ちと共に、母へのわだかまりも溶けていったように思います。
子育てのサポートに来てもらったのも、自分たちのため、そして何より子ども達のためと言う想いがありました。それに加え「親らしいことができなかった母親を、おばあちゃんにしてあげよう」という想いもあり、妻と相談した上で母親に頼ってみたら、応えてくれました。今でも弟のことでたまに言い合いをすることもありますが、母親がいたから、自分の過去があったから、今の自分があると思えるようになりました。
「生きたい」と思える社会へ
児童養護施設の子どもたちと話す機会をいただくこともあるのですが、毎回悩みます。自分の経験を押しつけちゃいけないと思いますし。でも、今の自分でいい、出会いを大切にして欲しい、夢をあきらめないでということは伝えていきたいと思っています。
児童養護施設に入れた僕は、むしろ幸せだと思っています。施設出身の当事者ということで、「大変だったね」と言われますが、施設に入っていなくて、大きな困難の中で生き抜いている子どもたちもいます。一般の人だって、大変なことがいっぱいありますよね。
これから活動したいと思っているのは、「虐待はいけない」と訴えるのではなく、「虐待しないために、どうしたらいいのか」ということ。そして「生きたいと思えるような、社会になるといいな」ということ。自分自身、認められたことが自信になっているので、子どもも親も認め合えるような社会になるといいなと思っています。
「日向ぼっこ」は、始めの一歩を踏み出せる場所、一緒に何かを成し遂げる場所そしていつでも帰ってこられる場所として、活動していきたいと思っています。
いつか「日向ぼっこ」が当事者にとって必ずしも必要な場所じゃなくなる日が来ることを願っています。